プラハの皆さんへの御挨拶に代えて

社)富山県芸術文化協会 会長   平田  純

 古くから「日出ずる国」と呼ばれてきた日本は、自らを「大和」の国とも呼んできました。文字通りには「大きな和」という意味です。南北に長く連なった日本の中で、私たちの郷土富山は丁度中央部にあり、南面する太平洋ではなくて、北に向かう日本海の沿岸にあります。東、南、西の三方を三千メートルを超える主峰立山を中心とする連山に囲まれ、北にホタルイカと蜃気楼の不思議と魚類に恵まれた富山湾を擁する自然に恵まれた土地です。雪解け水の豊かに流れる多くの川を持ったこの土地は、農作だけでなく、漁業と製薬が盛んなところです。しかし限られた土地に志を得ない若者たちは、山の彼方に楽園を求めて出ていく、進取の精神の豊かな土地柄でもありました。明治の開国以来、豊かな水による電力開発が進み、紡績産業が各地に工場を設け、それと共に多方面に渡る工業化が進められてきました。
 しかし、1945年、富山市は焼夷弾攻撃を受けて焦土と化し、敗戦の精神的虚脱感に打ちのめされた後、ようやく、ミリタリズムを脱却し、文化国家の建設を打ち出した政府の方針と相俟って、私たちは自己の依って立つ中心を、精神的安定、芸術文化にもとめる様になったのです。各地にそういった動きが顕在化してきましたが、消えていったものも多く、当時から今に引き続いて、単独で健全な活動を続けているものは十指を数えるばかりであります。その一つが、可西舞踊研究所であり、また、劇団文芸座であり、ともに活動五十周年の祝典を終え、国内外に誇るに足る活動を続けている団体であります。
 富山県芸術文化協会は一昨年、創立三十年を祝いました。その創設から活動の確立を巡る諸般の事情を回顧したとき、上記の二つの団体が毎年定期的に行った山村巡回公演が特筆されました。富山は急峻な山の多い土地であり、山麓には交通の不便ないわば閉ざされた空間に住む人たちが(平家の落人伝説の語られているところ)が多く、缶詰でない、生の舞台を見たり聞いたりしたことのない人たちのために、出前公演が行われた、それが、芸文協の活動の原点だというのです。演劇、舞踊、音楽といった異なったジャンルの公演活動が行われ、互いに協力し、影響し合っていく内に、それまで考えられなかった内的充実が実現されたというのです。
 芸文協は、加盟する諸団体の協力体制を通しての芸術的融合をめざし、また遂げてきただけでなく、日本国内だけでなく、広く海外にも目を向けて優れた指導者による教授を仰ぎ、会員諸子の質的向上に目を向けてきています。これには富山県の指導者招聘事業が大きな力となっています。芸文協の三十年の活動で、常にその中心にあってリーダーとして活躍してきた小泉博氏(元事務局長、現副会長、劇団文芸座代表)は世界アマチュア演劇連盟の理事、副会長を歴任し、そこでの繋がりを通して全世界の芸術文化人との間に密接な人的交流網を広げ、1983年以来六次を数える「富山国際アマチュア演劇祭」(TIATF)、今年四回目を迎える「いなみ国際木彫刻キャンプ」の企画開催が可能になってきています。
 プラハ(広く言えばチェコ{スロバキア}共和国)との繋がりも、こうして生まれたものでした。1983年の富山国際アマチュア演劇祭にチェコからはパントマイム劇団「ミモザ」が、85年の第二回にはデフ・シアター・アンサンブルが、89年の第三回にはトレポン市文化センター人形劇団が、92年の第四回にはラディスラフ・フィアルカ・パントマイムショー、96年挙行の第五回にはホロノフ・シニア劇団が参加されています。富山からも、85年にはブルノ市でのパントマイム・フェスティバルに劇団おんにょろ座が参加し、89年のヘプ市青年ブラス・フェスティバルに高岡商業高校が、90年のシュテティ市ブラス・オーケストラ・フェスティバルには富山商業高校が参加しています。92年にはプラハで劇団文芸座が「文芸座の夕べ」を公演し、97年にはホロノフ市で公演し、小泉氏が講演を行いました。これらの相互交流から、97年以降、プラハ芸術大学との繋がりが生まれ、97年には同大学のパントマイム科、可西舞踊研究所、桐朋オーケストラアカデミーの協力による芸術鑑賞公演が行われたのです。引き続いて、98年にはプラハ芸大のパントマイム科トルバ教授と学生の参加を得て、同大学音楽部のバクサ氏指揮による桐朋オーケストラアカデミーの演奏で、田中秀子バレエ研究所の芸術鑑賞公演が、翌99年の芸術鑑賞として、プラハ芸大音楽部のイワノヴィッチ氏の指揮による桐朋オーケストラ・アカデミーの演奏で和田朝子舞踊研究所が公演を行っています。これらの指導者招聘事業と公演活動がどれほどその方面に刺激を与え、レベルの向上に貢献したか、計り知ることが出来ません。
 99年、利賀で開催された第二回アジア・アマチュア演劇サミットでパントマイム公演を行ったプラハ芸大のハイブナー教授とともにサミットに参加されたプラハ芸大のザルボヴァ教授は、これまでの経緯を良しとされて、可西舞踊研究所から松下美規、片岸香織の二人にプラハ芸大への留学を許可され、一年の研修を経て、技術面だけでなく、文化も十分に吸収し、大きく育って帰り、良い手本となり、また刺激となってくれています。(現在も新たに二名が留学中です。)改めて感謝申し上げるところです。
 二十一世紀には、指導者招聘事業に、プラハ芸大の舞踊学部クビツォヴァー教授が来てくださいました。その指導を受けた富山県洋舞協会加盟団体が結束して同教授の振り付けによる「カルミナ・ブラーナ」の公演を富山舞台芸術祭利賀で披露し、観客に深い感動を与え、再演を求める声に応えて、富山に舞台を移して再度公演。ついには2002年11月、東京の天王州アイル・アート・スフィアでの公演が実現し、日本の代表的舞踊家、批評家から、日本の舞踊会に新風を吹き込むものと、異口同音に賞賛の辞を得たことは、演じた者、企画した者一同、等しく喜びとしているところです。これも振り返って思えば、プラハと富山との芸術文化交流の歴史があってはじめて生まれることができたものと、感慨深いものがあります。
 可西舞踊研究所と劇団文芸座による「北の鳥と南の鳥」はフランスの作家ピエル・グロス氏の作品を、日本の演出家宮島春彦氏が脚本化し、八幡茂氏の音楽によるミュージカルとして構成されています。2000年とやま世界こども演劇祭を機に制作され、翌年、モナコ世界演劇祭で再演されたものですが、メンバーの一部を変えて、プラハの皆さんに観賞していただきたいと公演するものです。日本的な要素と国際的な要素とを交えた舞台展開を通して、私たちの訴えを聞いていただけたらと願っています。
 「白き道」は、女人禁制の霊峰立山への信仰を通して、愛憎苦楽を経て修行による女人の悟りへの道程を描き出すもので、極めて日本(富山)的な題材を扱っていますが、きっと皆さまの心に訴えるものがあると確信しています。また、可西舞踊研究所は富山の民謡を題材とする小作品をお目にかけます。越中の庶民の世界を描いたものです。
 これらの作品を、長い文化の歴史を誇るプラハの、それも文化史を紐どけば演劇、音楽、舞踊の綺羅星を舞台に載せた「エステート劇場」で上演することの意義と感激は、私たち一同の胸の底に、終生忘れ得ない、語り継ぐべきこととして記憶されることでありましょう。この機会を生み出すに至る間、色んな形で御協力を賜りました皆さまに、そして何よりもその御協力とご配慮がなかったら、この事業が可能になったとは考えられないデヴィッド・ポスピシルさんに、深い感謝と敬意を捧げる次第であります。
 こうした芸術文化交流がプラハと富山の間に何時までも続いてくれることを、ひたすらに念願するものであります。
 プラハと富山の、ますますの友情と文化交流に乾杯。